今回は、2020年4月に千葉県八千代市にて訪問看護ステーションで独立・起業を果たされた株式会社さんご・さくら咲くグループ代表・天野透介様インタビューをお届けします。
看護師として働いていた30歳のとき、医療機器メーカーの営業マンに転身、その後再び、看護の現場に戻り、訪問看護ステーションを開業した天野様。異例の経歴、これまでの経験がいま、どのような形で仕事に活きているか、お話をうかがいました。
看護師という仕事を選んだ理由
——まずは、看護師という仕事を選んだ理由を教えてください。
はい。僕はもともと、なりたい職業というのがなかったんですよ。母が看護師をしていたので、母のすすめもあって、最初は准看護師の勉強を始めました。
当時は、勉強しながら病院でも働く生活でした。朝、まず病院に行って6時半から患者さんの朝食の準備、その後は看護助手をして、昼食後に学校へ行き、夕方6時から7時半まで看護助手の仕事をしました。
すすめられて選んだ仕事で、最初はそれほど興味もなかったんですが、やってみたらおもしろくなっていきましたね。
——学校と仕事の両立、大変でしたね。
忙しかったけれど、その時期にものすごく学べました。いまになって思えば、そのときの経験が原点でした。
看護学生4人で、80人の患者さんのおむつ替えをしていましたが、おむつの便の状態を見てその患者さんの状況をアセスメントするという、いま仕事でやっていることを、当時、学んでいたんだなと。そこからのスタートでしたね。
最終的には、5年かけて23歳で正看護師の資格を取りました。
より高いレベルでの仕事を目指し、救急救命、オペ室勤務へ
——その後、地元を出て、新たな環境でのチャレンジがはじまりましたね。
はい。レベルの高いところで働きたいと思い、大学病院の救急救命センターに移りました。当時、『救命病棟24時』というドラマが流行っていまして……。自分が医師役の江口洋介みたいになれると思っていたんですね、看護師なのに(笑)。
そこで2年働きましたが、結局、思っていたような仕事はできませんでした。地元の病院にいた頃には看護師がやっていたことも、一つひとつ医師にコールして処置を頼んだり、効率が悪いと思うところもあって。
——さらに、東京の病院に転職、面接の際にはかなり強気なアピールをされたとか。
そうなんです。そこは国立の、看護大学も併設されていた病院で、自分みたいに准看の学校卒の人間はいなかったんですよ。
当時25歳くらいで、尖っていたというのもあるんですが(笑)、面接の際、「オペ室で働きたいので、オペ室以外なら不採用でいいです」と。でも実は、オペ室はあまり人気がないことも知っていました。
——その強気さが功を奏してオペ室勤務となり、実際に働いてみていかがでしたか?
すごく充実していました。手術に関わるので、解剖生理の見地からも人の体を見ることができ、各臓器のつながりだとか、リンパ、脂肪、皮膚の状態など、目にしたときは感動しましたね。
あとは、それまでどうしても女性看護師の多い環境で仕事をすることが多かったので〝違和感〟のようなものを感じることがありまして。男性看護師の〝居場所〟や役割を探す気持ちも、自分の中にあったんです。
男性看護師だからといって、おむつ交換を拒否されたり、「女性の看護師さんがよかった」と嫌味を言われることもありました。
オペ室は男性医師と仕事をすることが多いので、そういう部分は解消されました。医師から厳しいことを言われることもありましたが、それさえも新鮮でしたね。
——経験を積んで、また別の病院へ移られたんですね。
都内の大学病院のオペ室に転職しました。面接ではまた「オペ室しか行きません」と言って(笑)。そこで3年間、レベルの高い環境で働くことができました。
特に、整形外科の側弯症、背骨の手術が興味深かったです。
でも、3年働いた頃に異動の話がありまして。それまで自分がやってきたのは、「看護」というより「仕事」なんですよね。
手術の器械出しとか、医師から「今日の器械出し、よかったよ」と言われたりすると、働いている充実感がすごくありました。自分は看護師として手術に関わる仕事がしたかったので、そのときは、他の業務は考えられませんでした。
看護師の仕事から、医療機器メーカー営業マンへ
——オペ室からの異動の話がきっかけで、その後の人生が思わぬ方向へ行ったそうですね。
はい。ちょうどその頃に目に留まったのが、医師の元に出入りしている外資系医療機器メーカーの営業マンでした。医師からいろいろ怒られたりもしながら、手術の提案をしたり、すごくかっこいいなと思いまして。
その人に話を聞いてみると、外資系で仕事は実力重視。そういう厳しい世界で勝負したい、という気持ちが大きくなりました。でも入社の条件が、「4大卒」「英語経験」「セールス経験」。自分には全部ないんです(笑)。
——それだと厳しい……ですよね?
全部ないけど、あるように見せればいいと思いました。英会話学校に通い、営業、経済関係のセミナーに定期的にも通いました。学歴はどうしようもないですが、それ以上に看護師のライセンスを持っているので、それをどう活かすか。
当時からの親友と一緒に、転職のための計画を立て、「自分の強みを活かしていこう」ということにしました。
——どういうことでしょうか。
医師の元に通ってくるメーカーの営業マンは、医師との上下関係があります。
僕はその医師との信頼関係を築いていたので、先生に率直に
「僕は先生の手術に3年間関わらせてもらって、この仕事を続けていきたいと思っていました。でも異動で先生の担当から外れてしまうので、先生の仕事に関わり続けるために、メーカーに入ろうと思うんですが」
と。すると、「看護師よりそっちの道の方が正解だよ」と言っていただいて。先生の言葉をモチベーションの後ろ盾に転職活動を頑張りました。
もちろん、先生からお願いしてもらうなど滅相もなく、それ以上にコネで入れるほど甘くないので、休日には全国で行われている学会にも顔を出しました。そこにはメーカーの人も来ているので、「熱心だな」と印象を持ってもらえるように。
それを続けていたら、最初に話を聞いた営業の人から本部長に話を通してくれて「話を聞こうか」ということになり、面接を受けることができました。
——看護師からメーカーの営業マンに。異例の転職で、かなり苦労されたとか。
採用されたのが30歳のときです。入社して3カ月、営業のトレーニングがあったんですが、看護師だったことを忘れないといけない、と思うほど厳しかったです。
看護師の知識があるからアドバンテージがあると思っていたけれど、大間違いでした。自分に甘くなっていたと気づいて、看護師の免許は破り捨てました。中途半端なことをしていたら生き残れないので、退路を断つつもりで。
座学で製品知識を勉強し、先輩営業マンに同行して学び、仕事が終わった後に営業のトレーニングがあります。いろんなパターンの設定で、ロールプレイングをするんですが、頭ではわかっていて必死に製品の説明をしても、医師役の先輩に「それで? ほかのメーカーのほうがいいよ。買わない」とか言われたり。「売る気あるの?」って言われながら、先輩も夜中まで付き合ってくれましたね。
——それまでの仕事とは、ガラッと違う世界ですね。
トレーニング後の試験に合格しないと営業の仕事ができないので、先輩も必死です。怒鳴られたりもしたけど、家まで送ってくれたり食事に誘ってくれたり、そのときに〝仕事はチーム〟だなと思いました。
がむしゃらだった営業マン時代、結果を出す大切さを実感
——見事合格、営業マンとしてスタートして、実際の仕事はいかがでしたか。
他の営業の人がやらないことをしよう、と思いました。それが「朝訪問」なんですが、医師の仕事が始まる前、朝の6時半くらいに病院に顔を出すんです。
普通の営業マンだとだいたい朝は1カ所しかまわらないところを、自分は3カ所行きました。医師から迷惑そうな顔をされることもありましたが、先生にとってもメリットのある内容だし、会社の規模が大きかったので、一つの製品がだめでもほかにも売るものがたくさんあるんです。
大抵は「お困りのことはありますか」「ないよ」という感じですが、先生が興味のありそうなものを徹底的に探りました。するとある日、「それ、使おうか」と。人はやっぱり情なんです。
あとは、製品への愛情ですね。〝自分の家族が手術を受けるなら〟という考え方で、仕事をしていました。
——周囲の反応はいかがでしたか。
営業の数字が上がってくると、認めてくれる人も増えました。最初は「お前だけは会社に入れたくなかった。オレは看護師は嫌いだ」と言っていた営業マンもいましたが、「変に期待を裏切った」なんて言われて(笑)、認めてもらえるようになりました。
それに、日本でトップの病院の担当になれたこと、それは僕の目標でもあったので、そこで厳しい医師から看護師ではなく、営業マンとして見てもらえるようになったことも大きいです。プレッシャーもありましたが、トップの病院を担当できる喜びは大きかったですね。
「自分にできることはなんだろう」という思いから、訪問看護ステーション経営へ
——とても充実していた営業マンとしての生活ですが、また転機を迎えるんですね。
はい。もともと40歳になったら独立しようという気持ちはありました。メーカーに入る前から、起業セミナーや、ビジネススキルを上げるためにドラッカー学会などにも通い、たくさんの起業家と話をする機会もあったんです。それもあって、最終的に独立するなら会社に入って経験を積まないと、と考えていました。
メーカーで、営業マンとしてはトップの大学病院の担当を6年やった後、担当交代の話が出ました。通常よりも長く担当させてもらい、休日にも医師から連絡してくるくらい信頼関係もできていましたが、自分がサポートに回ってチームとして支えるという道もあるな、と思ったんです。
その後はしばらく、会社に残って上を目指すか独立しようか迷いながら、ビジネスを起こすとしたら自分の好きなことをするのか、それでいいのかモヤモヤ考える時期が続きました。
——好きなことを仕事にする、という考え方から別の思いへと変わった?
「やりたいことより、できることってなんだろう」と考えました。
医療や介護の制度ビジネスについて調べているとき、パッと浮かんだのが「訪問看護」だったんです。その際に、訪問看護ステーションの開業などのコンサルティングをする会社と出会い、本格的に考え始めました。
会社員とは違う立場に立つことになりますが、厳しいことを乗り越えるというより、もう「やるかやらないか」だと思って決断しました。
再び看護師としての経験を活かすこととなり、免許証を破り捨てたことを思い出し、慌てて再発行してもらいました(笑)。
——開業はコロナ禍真っただ中の2020年4月でしたが、苦労はありましたか?
開業後、特に最初のうちは自分の会社を知ってもらうためのフットワークが命なのに、人に直接会えないからそれができない。でも足で動くだけではなく、電話、郵送、できる形を見つけてやり、時間が空いたことで、何をするべきか考える時間にあてることができました。
ちらしは送るだけだと一方通行になるので、まず最初に「送らせてもらっていいですか」と電話をし、着いた頃に「届きましたでしょうか」と連絡を入れました。そうすると、1カ月に2回くらい、「さくら咲く」の名前を意識してもらえますよね。
——実際に訪問看護が始まったのは、非常事態宣言が明けた頃からでしょうか。
そうです。開業2ヵ月目くらいにパーキンソン病とターミナルケアの方などの依頼が来て、1日2件くらい、訪問するようになりました。
パーキンソンで要介護5の人、末期がんの患者さん、高齢者二人暮らしの老々介護の家など、たんの吸引も必要だったりして、病院の人からは「さくら咲くやちよさん、初めてご一緒するのでよくわからないけど大丈夫ですか?」と言われるような状況でしたが、夜も毎日利用者さんの様子を見に行くなど、とことんやりました。
最初だから勝手もわからず必死に動いていた、というのもありますが、後々それが信頼にもつながりました。そのときのケアマネージャーさん、訪問診療のお医者さんに、「ここのステーションは一生懸命やってくれる」「フットワークがいい」という印象を持っていただけて、その後は依頼が続きましたね。
営業の仕事のときもそうでしたが、何ごとも初動が大事で、最初にどれだけハードワークできるかだと思うんです。
春に開業して夏には黒字になり、スタッフも増やすことができました。
看護師として覚悟を持つ人が、より良い方向へ向かえるようサポート
——2020年4月に「さくら咲くやちよ」開業、順調に成長して9月に「さくら咲くふなばし」、2021年4月に「さくら咲くさくら」も開業し、3事業所となりました。スタッフも増え、マネジメントはどのようにしていますか?
どんどん忙しくなっていったため営業ができず、難航したステーションもありますが、最初の「さくら咲くやちよ」が順調に増えていたので、その一部を他にまわすというやり方もしています。
現在、看護師は18名います。正直、マネジメントはできません。しなくても、ある程度自立して動ける人を採用しています。だからうちは、本人に決定権を与えています。
スタッフは基本、直行直帰、ミーティングは月2回、ステーションに戻れない人はオンラインでもOKです。それでも組織は動きます。
メーカー時代、車は一人一台、iPad、オンラインで情報交換、それで無駄な時間を作らず仕事をしていました。その経験もあるので、効率よくやれるよう工夫しています。
——スタッフの採用時には、どのような話をされますか?
面接の前の説明会で、いいとこも悪いことも全部話します。
いいところは、病院ではできない経験ができること。医師でも家族でもなく、「訪問の看護師さんが来てくれて安心した」と言っていただけること。
人間としての存在意義を強く感じることができます。
看護師になろうと思ったときの感情、誰かに何かをして喜んでもらいたい、という思いが満たされる、味わえる現場でもあります。夜間の訪問など、大変な状況で行ったときに感じる、喜び、悲しみ、努力をした人だからこそ得られるものがたくさんあります。
一方で、一人で訪問に行き、ある程度自分で判断ができないとクレームにつながることもあるということ、結果が出なければお給料が下がる、緊急時の対応ができるステーションだから、うちが選ばれているという現実も話します。
中途半端な気持ちではできない、と話した上で、やりたい、やりたくない、ではなく、やるかやらないか。嫌なら面接は受けなくていい、ということを説明会で伝えています。
——経営者としての理念、方針をお話されるんですね。説明会に参加する方の反応はいかがですか。
面接を受ける人は、その時点で覚悟ができています。だからほとんど入社してもらいます。
僕自身、転職で人生を変えてこられたので、ステーションの方針というより、会社の役割として、働く人たちの人生をいい方向に変えていきたい、という思いがあります。
いま、僕はやりたいことをやれています。人の手を借りながらも、自分が努力して結果を出すことが、世の中のためになっていることを感じられています。
看護師は離職率が高いと言われていますが、人間関係で悩んだり、くだらないことを考えていないで、看護師としての人生を全うできるよう、精一杯やりたい人のサポートをしていきたいと思っています。
看護師のライセンスを持ってどう行動するか、一人ひとりが考える
——今後のステーションの展望をお聞かせください。
世の中で必要とされているものが見えたら、それにアプローチするというのが、僕のやり方です。
ステーションの数を増やすというより、必要な人がいるから提供したいと考えています。
在宅で暮らせない人の行き場がないというのを肌で感じているので、そういう人たちが住む場所、良いサービスを受けられる場所を作っていきたいです。
また、看護師の役割を細分化して、働きやすさを考えてチームを分けています。
看護師側も年を重ねていくにつれ、「訪問がきつい」とか「車の運転が不安」となったとき、訪問ではなく施設で働く、という選択肢も提供したいと考えています。
現在ナーシングホームを準備中なので、いずれ働き方の選択肢の一つにしたいです。
——訪問看護ステーションの数は増え続けていますが、業界の課題はどのようにお考えですか。
見失ってはいけないのは、利用者さんの満足度を上げること。
必要なことは、利用者さんごとに違います。ご本人、家族の望みもそれぞれです。
いま、介護報酬でリハビリの点数が下がっているんです。でも現場を見ると、リハビリという名目でありながら、マッサージを希望される利用者さんが多いです。だからといって、訪問してマッサージだけして終わりでは、ライセンス保持者として結果をきちんと見られていないと思います。
リハビリを導入することで、体の機能を維持でき、医療費が減らせたという明確な結果が出ていれば、点数は減らされないはずです。
リハビリも含めて、自分たちがやっている看護の結果にしっかりフォーカスし、利用者さんの気分的な満足度だけではなく、僕たちが関わるサービスの力で自宅で生活できるようになれば、それで医療費も減らすことができます。
そういう気概を持ってやろう、という話はスタッフにもしています。
——結果的に、利用者様の本当の満足度にもつながる、ということですね。
そうですね。病院に入ってしまえば、治療費もかかるし家族に思うように会えなかったり、不自由さも出てきます。そうならないために、僕たちが一歩踏み込む形で関わっていくことで、介護度が下がり、デイサービスに行けるようになったりします。
ふだんやるべきことをやっていれば、結果は出ます。マッサージもリラクゼーションとして行うことはありますが、利用者さんのゴールを考えたとき、ライセンスを持っている人間として何をすべきか、どう行動するかが大事ですよね。
「看護師の資格を持っているからえらいわけではないよね」と、ふだんからスタッフにも言っています。
そういう僕たちのことを見ているケアマネージャーさんにも、言葉を通り越して、行動を見て感じとってもらえればと思います。
覚悟を持って飛び込むこと。不安は動くことで解消する
——これから訪問看護ステーションを開業したいと考えている人に向けて、アドバイスをお願いします。
やろうと本気で思うならチャレンジしたほうがいい。
やるからには結果を出すべきだし、世間は結果しか見ません。
やってダメだったらどうするか、なんて考えないことです。覚悟が必要だし、覚悟できないならやらないほうがいいですね。
僕だって常に不安ですよ。こんなでかい体で、でかい声出してやってますけど、実はビビりです(笑)。不安だから動いて、動いていると結果は出ます。
思いつきでもいいから行動を起こすこと。不安の解消はそれしかないですね。
以前受けたセミナーの先生が、「鳥かごの扉は開いているんだよ。出れば広い世界、やることはいっぱいある」と、言っていました。本当にやることはたくさんあります。
僕は頭も性格も悪いけど(笑)、一歩踏み出す勇気を持てたこと、それが一番大きいです。
一歩踏み出せば時間は流れるし、足を動かせばいいんですよ。
——力強い言葉、結果を出す行動力、今後ステーション開業を目指す人たちの励ましになると思います。
貴重なお話をありがとうございました。
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